HSPの私が感じた日々のつぶやき

今もまつ毛に憩う思い出の人たち ①(Hさん)

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こんにちは!
 
今日は、想いのままに書いてみます。
 
 
午後から夕方にかけて私の住む地域は強い雨が降っていたので、その雨である人を思い出していました。
 

エンジニアのHさん

 
 
昔ある企業に契約社員で入社したとき、ちょうど1回目の入院中で、入社のご挨拶が出来なかった人がいました。その人が男性でエンジニアのHさんでした
 
 
男性エンジニアばかりの、割と男臭い(笑)環境で、みんな特にHさんの事を話したりするようなこともなかったので、その空いている机をみて、出張かな?それとも、体調が悪いのだろうか?と時々不思議に思っていました。
 
 
でもそれから1か月くらいして、Hさんがようやく退院して出社されて、初めてご挨拶をすることが出来ました!やはり、ご病気で入院していたのだ、、とその時知りました。
 
 
彼は私と同年代ですが、その時は職場復帰できた喜びが大きかったからか、とても明るくキラキラと元気でした。みんなも彼の元気な姿をみて喜び、これからまたがんばっていこう!と場が盛り上がりました。
 

Hさんとの交流

 
Hさんという人は、一見明るく見えたものの、実は簡単に心を開くほうではなく、話せば普通に会話はするけど、気が合う人以外は、それ以上踏み込ませないような、壁のようなものを持っていた人でした。気に入らない人には、実にそっけない(笑)。でも、実は物事をよく見ていて、全てを遠くから俯瞰してみているような人でした。
 
 
私はその時、彼が所属する部署でアシスタントをしていたんですが、部品の手配か何かをお願いされて、そのお返事を書いた時に、よし、Hさんと打ち解けられるチャンスかも!と文面の最後に、かなり古いギャグを書いたんです。そしたら、辛口のHさんが「あなた、何年生まれ?」と、突っ込みを入れて返事をしてくれて、それから徐々に会話をしたり、CDの貸し借りをしたりして、まぁ、つかず離れずの距離で、会社の同僚として交流していました。
 
 
でも半年くらい経った頃でしょうか?また彼が入院することになりました。病気が再発したそうなのです。彼は不治の病を患っていました。
 
 
 
既に1回目の入院と治療で回復したとばかり思っていた私は、そのことを知り「え?」とショックを受けたのですが、彼はそこでもまだ辛い治療を乗り切って、1か月ちょっとで戻ってきてくれました。
 
 
男性達がメインの職場で、周りも噂話などはしないタイプだったので、彼がどのような状況だったのか、正確なことがわかりませんでしたが、復帰したときは、抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けてしまったせいか、頭にバンダナを巻いて現れました。
 
 
相当過酷な状況なのがすぐにわかり、思っていたよりも深刻かもしれない状況に、どうしようもなく悔しい気持ちと不安を感じた私でしたが、それでもHさんは、表面的には気にすることなく、また普通に働くようになりました。
 
 
でもHさんは以前より顔色が悪かった。。内心心配していたものの、彼の前で大丈夫?なんて言葉をかけることは、一番彼に対して失礼だ、と何故か感じていて、いつもと変わらずに接するしかなく。。とにかくHさんが回復してまた元気になるよう、身心に良い音楽があると聞くとそれを入手して、私が好きな曲が沢山入ってるから聴いてみて!とか、とってつけたような理由で無理やり聞かせたり、音楽や映画の話を時々したり、気分転換してもらいたい一心で、私はHさんに、タイミングをみて話しかけていました。
 
 
Hさんは一人暮らしで、高齢の親御さんが地方にいらっしゃったようでした。 生活もあったのだと思います。でも、休まずに働き続ける彼を遠巻きにみて、とても心配でした。食事などもどうしているのか?
 
 
でも、一切誰にも弱音を見せない性格のHさんに、それは聞いてはいけない。。。当時は、気になっているのに何もできないでいる自分がとても歯がゆかったのを思い出します。
 
 
その時期、あろうことか職場自体が非常に忙しくなり、周りの人も毎月半端ない残業と休日出勤を行わないと、納期に間に合わないような状況となりました。
 
 
本当ならば、仕事は定時で引き上げて少しでも体を休ませなければならないHさんだったのですが、彼の力が必要な現場だったので、上司も泣く泣くHさんに頼んで残業をしてもらっていました。
 
 
そんな時に、私はどうしてもやりたい仕事が見つかり、そこの会社を辞めたのです。
 
 
Hさん、大丈夫かな?でも彼なら必ず元気に復活する!と信じて退社しました。
 
 
で、お互いにメールアドレスは交換したので、そのあとも何度かメールのやり取りをしたのです。
 

佐野でラーメン

 
 
私が辞めて2か月くらい経ったころでしょうか。Hさんのメールで「ラーメンが無償に食べたくなって、佐野まで車をぶっ飛ばして食べてきた!」という連絡が来ました。
 
ラーメンかぁ!いいなー・・と思いつつ、その時の楽しい話をメールで読んで、今度その店を教えてほしい、、と返事を書きました。
 
 
私が辞めたときは、かなり体調が辛そうだったので少し心配でしたが、自分で車を運転して遠出が出来るなら、元気になったのかもしれない!良かった、、と思っていたのを覚えています。
 

たまらなく悲しかった日

 
 
でも、、、。それから、2,3か月して、元上司の方から、Hさんがお亡くなりになったとの連絡があったのです。。。
 
 
 
そのメールを見た瞬間、号泣しました。
 
 
 
あんなに頑張っていたのに。。。どうして?
 
 
 
ショックと悔しさで、涙が止まらなかったです。
 
 
 
ラーメンを食べに行ったと言っていたのに。。
 
 
 
 
症状が急変したとのことでした。
 
 
 
身近な人や、知っている人がこの世から旅立つと、命というものを改めて突き付けられたようで、深く傷つきますね。 人が亡くなるのは寿命だから。この世で精いっぱい生きたから、神様がもういいよ、、と卒業させてくれたんだよ。。そんな話も聞きますが、それが事実かもしれないけど、それでも、つらいものはツライです。。
 
 
 
お通夜は、大雨が降る日に行われました。
 
 
 
私がその会社を辞めてから、3,4か月くらい経っていたけど、みんなが温かく迎えてくれました。周りの元同僚や先輩の方とみんなで泣いて、大雨がまるで私たちの涙のように、いつまでも降り続く夜に、大きな悲しみと一緒に帰宅をしたのでした。
 
 
あの時のメール。
 
 
夏の日に、ラーメンが食べたくて佐野まで運転したというHさん。あの時、彼はどんな気持ちだったのだろうか。。と、時々今も自分に問い返しています。
 
 
 
Hさんにとってのあのラーメンは、もしかしたら、最後となるかもしれないとどこか覚悟を秘めて行った場所かもしれない、、と感じました。
 
 
一方で、自分は病気でも、それでも食べてやる!生きている内に食べてやるんだ!という、彼の強い生きたい!という意志、または生きる執念があったんじゃないか、と、後になって思いました。
 
 
あの時のメールは、そんなことを全く感じさせず、いつものようにユーモアを交えた感じで書かれていて、発作的に行ってしまった、、というように言っていましたが、
 
 
Hさんは、あの時、自分の病気が進行している中で、どんなに怖かっただろう。。どんなに、絶望や悲しさがあっただろうか。。そんなことを思うと、今でもとても切なくなります。
 
 
 
私たちにとっては、日常のほんの一回の食事で食べるラーメンは、誰かにとっては、最後の一杯となりえるとても大事なものとなる。いや、私たちだって、いつその最後がくるかわかりませんよね?だから、一瞬一瞬を本当に大事に生きて、精一杯味わって、周りの人を大切にして、愛していきたいと思うのです。
 
 
 
告別式で、彼の遺影を見たとき、本当にHさんはもうこの地上にいないんだ、、ということが信じられず、悲しみばかりが溢れてきました。昨日まで、同じ日本の空気を吸って、つい数か月前までメールでやり取りがしていた人が、ここにはもういない。。。
 
 
 
生きていることは、本当にキツイ時もいっぱいあるし、色々あるけれど、生きていたくても、命のタイムリミットがきて、この世から卒業しなければならない人も沢山いらっしゃる。
 
 
 
いつもは、自分が生きている事を当たりまえのように思ってしまうけれど、この世に命を頂いて、日々生活できていることが、どんなに尊いことか。。それをHさんを思い出す度に思い出しています。
 
 
 
悲しいお話を書いてしまいましたが、Hさんは、実際に仲良くなるとユーモアにあふれた人だったので、思い出すのは楽しく笑っているシーンや、私がボケて彼が厳しくツッコミを入れるような場面が多いです。
 
 
ついつい、日々生きていると、コロナ渦やいろんなことでストレスが溜まってきます。不平不満もムクムクと出てきちゃいますが、Hさんのように、あとで自分の人生を後で振り返ったときに、多くの笑いや、笑顔が思い浮かぶような、そんな時間を増やしていきたいな、いや、そうしよう!と雨模様の外を見ながら、決意をしたグレースでした。
 
明日が良い日となりますように!!
 
【私のおススメ】
*Steven Halpernさんは、NY出身で著名なHealing音楽のプロデューサーです。彼の音楽は非常に本格的で、人を癒す居心地よい音色が多いです。(ちょっとスピリチュアル系になってしまいますが!)私は、ちょっと仕事に疲れたなぁとか、ゆっくりと一人で癒されたい時に聴いています!
Ocean of Bliss:..