HSPの私が感じた日々のつぶやき

古賀選手、本当にお疲れ様でした。


古賀稔彦選手、素晴らしい柔道を見せてくれて、ありがとうございます!



3月24日、私が大好きだった柔道家の古賀選手が亡くなられました。

古賀稔彦先生の訃報 | 【UCHIDA柔道塾】大切な人を大切に。古賀 稔彦|福岡の講師派遣会社 講演会サポート福岡

 



もちろん古賀選手とは直接お会いしたことはなかったけれど、オリンピックもリアルタイムで見ていたし、柔道を見るのが好きで、テレビなどで頻繁に柔道の試合を見てきた私にとって、彼はとても身近で一番好きな柔道家でした。



指導者になってからは、本当に明るくて。周囲を大きく包み込むような無邪気な笑顔、そしてがっしり堂々とした風貌で、いつも温かく人を見守る姿が目に焼き付いています。



いつも前を向いて、ユーモアを忘れず、気さくで、そして優しくて強い。こんなにいい男がいるだろうか。。!・・・と、映像を通して拝見するたびに思っていました。



その古賀選手が(つい去年TV番組に元気な姿で出演していたのに)お亡くなりになったとの訃報に触れ、本当にショックを受けてしまいました。すでに1か月半が経ちますが、あまりに悲しくて、古賀選手の笑顔が頭に浮かぶだけで自然と涙してしまう日が続いてしまったことには、自分でも驚きました。



人間的にも素晴らしくて魅力的な、これからまだやりたいこともきっと一杯あったはずの人を、なぜ神様は・・と、一瞬大きな神の摂理をうらみそうになるくらい、彼がこの世から旅立たれてしまったことが、本当に悲しかったです。



だけど、そんな中、古賀選手関連のニュースに対するコメントには、たまに悪意を感じるものがあって、それが私はどうしても理解できなくなっていました。もちろん色々な人がいるし、スキャンダルと言われるものが彼にもありましたね。



でも、そのことを絡めたコメントを、何故このタイミングで敢えて書くのか。。?
もちろん、そんな人は少数派です。それでも、人がお亡くなりになり、本人が反論も何もできない中で一方的に、(きっと直接会ったこともない人が)匿名でこきおろすようなコメントを書くという神経(行為)が、私には正直恐ろしいというか、人間の悪意の底なしさにぞっとしてしまいました。あえて不特定多数の人が見ている記事に対して書くということ。つまり、それは読む人や、(今回の場合)古賀さんご自身、そしてご家族、、を貶めて喜ぶ、きわめて不幸で下劣な人だって個人的には思いました。



世の中には色々な人がいます。



どんな事実も世界中の様々な人がみれば、違った形に受け止められるし、どんなことも全く同じ見方はしない。そして、どんな人間も、100パーセント完璧ではないし、正解もないのかもしれません。自分の意見を発信できる機会が増えることは、良いことも多い。でも、、最近のこういったネットでの中傷コメントにモヤモヤするのは私だけでしょうか。



「精力善用」・・・。古賀さんが好んで言っていた言葉です(←東京新聞より記事をお借りしました)。

 



吉凶は糾える縄の如し。。どんな人間も、等しく苦しみやしんどい時期はめぐってくる。でも、しんどくてつらい時、そこで自分に負けて、他人を落とすことで自分を浮かび上がせる自分になるのを踏みとどまり、古賀さんが好んで使っていた、この「精力善用」を心がけて、なんとか凌いで(しのいで)みませんか?



もし2人の自分が同時に生きていて、一人は今までの生き方を、もう一人は「精力善用」の生き方をしたら、おそらく1か月で、同じ自分でもかなりの確率で日常が変わってくると思います。誰もが平等に持つ24時間という時間、精神(心)、、これらをコントロールできるのは「自分」だけです。



今回悪質コメントを書いた人も、子供のころは、きっと希望や夢はあったと思います。朝、まぶしい太陽に目を細めて、おいしい空気を吸って、希望に胸を高鳴らせて一日を始めた時もあったでしょう。その時の希望を少しでも取り戻すことができることを願っています。本当にエラソーな事を言ってしまうなら、悔しい過去や憎い人達をゴミ箱に捨てて、これからは自分の大事な「心」を良い方向に使ってあげてほしい。(←自分にも言い聞かせています)



古賀さんは、どんなコメントを書いた人たちにも、笑顔で微笑みかけて、俺が話を聞いてやるよ、、とまっすぐかかわろうとしてくれる人、、と勝手にイメージしています。だから、こんな事ではめげないだろうし、実際、ネガティブ・コメントの数百倍の、お悔やみのメッセージと、たくさんの人の悲しみの涙が古賀さんに注がれたわけだけど。。あー、本当に悲しいなぁ・・・。でも古賀さんはきっと、自分のことで人が悲しい顔をするのを喜ばない気がするので、笑顔で乗り切らねば・・!



古賀さん、どうかどうか、ゆっくり休んでください。もうその元気なお声や姿が見られないことが、悲しくてしかたないけれど。。本当にこの世で私と同じ世代で生きてくれて、ありがとう。